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カメラ・オブスクラからデジタルカメラまで(1) [写真について]

Antwerpen14 34.JPG

Canon EOS-1N  EF24-85mmF3.5-4.5USM  RDPⅡ    

 

カメラは、いったい、いつごろからあったのか?

「え~写真が発明されたときからじゃないの?」な~んて、
最近まで、テキトーに、そう思ってたというか、
あまり考えたこともなかったんだけど、
写真以前にも、「カメラ」は、あったのだった。

いわゆるカメラ・オブスクラcamera obscuraという
(直訳すれば暗い部屋)装置が、
かなり昔からあって、箱の内部に映った像を
手で描き写したりして、
主に絵を描くために使われていたという話は、
以前から知っていたのだけれど
16世紀ぐらいには鏡やレンズも使われていて、
18世紀にはポータブルなものも作られていたらしいし、
このカメラ・オブスクラというシロモノ、
もうほとんど「カメラ」そのものだったようだ。
「感光材料」さえあれば、写真機になる・・・。

19世紀に感光材が発明、実用化され、
やっとカメラは写真機になった、というか、「なれた」のだ。

写真の歴史は、銀塩写真からデジタル写真という
流れになったけれど、「カメラ」の歴史は、
さらに遡って「手描き」の時代から始まっていた
と、言っちゃってもいいのかもしれない。

デジタル時代の今、あえてカメラ・オブスクラを使って、
絵を描いてみるのも面白いだろうと思う。
写真をトレースして絵を描くことには、
何の魅力も感じないけれど、
カメラ・オブスクラに投影された光の輪郭を
筆でなぞってみたいとは思う。
想像ではあるけれど、かなり妖しい魅力があるに違いない。

 


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カメラは嘘をつかない 人が嘘をつく [写真について]

新華社電などによると、中国中央テレビの2006年度「記憶に残る報道写真賞」の第3位に選ばれた青蔵鉄道の列車とチベットカモシカを撮影した写真が、2枚の写真の合成だったことが18日までに分かった。

専門家が「音に敏感なカモシカは、列車が走れば散り散りに逃げ回るはず」と疑問を提起。撮影したカメラマンが、別の時間に同じ場所で撮影した写真を合成したと認めた。(MSN産経ニュース)

鉄道写真を撮影したことがある人なら、わかると思いますが、
走ってくる列車をカメラで捉えるチャンスというのは、一瞬です。
背景の空にじつに美しい雲が浮かんでいたとしても、
列車がやってきた時に、その雲があるかどうかわかりませんし、
急に天候が変わることだってありえます。
現場でカメラマンがコントロールできることなんて、ほとんどありません。
放牧された羊の群れと一緒に列車を捉えるなんてことも、相当に難しいと思われるのに、
走ってくる列車(そんなに便数も多くないのでは?)と、希少なカモシカの群れを同時に捕らえる?

カモシカの専門家でなくても、多少写真を知っている人だったら疑問を感じたと思います。

カメラマンは「報道写真として発表したことはない。もともと芸術的にするため加工した芸術写真だ」と話している。

本来の目的が、観光のパンフレットに掲載するようなものなら問題はないでしょう。
(それでも、「これはイメージです」の注釈が必要な時代ですが・・・。
同じ景色が見られないじゃないか、とクレームをつける人がいるらしいのですね・・・)

問題なのは、なぜ、芸術写真が「報道写真」に紛れ込んでしまったのか?ということです。
報道写真となれば、芸術的な加工は「嘘」「偽装」以外の何物でもないわけで。

真実を写したものだとは限らない「写真」。
「写真」という日本語の単語には矛盾があります。
言葉どおり「写真」なのは、カメラのフィルムや撮像素子に光が当たった瞬間までなのかもしれませんね・・・。

「成田」 OLYMPUS E-300  Zuiko Digital ED 40-150mm F4.0-5.6

ちなみに、この写真は合成じゃありませんよ(笑)。

2枚目は、かなりトリミングしてます。


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写真は記録か表現か [写真について]

さいきん、写真を撮るときに、「この写真は十年、二十年後に価値が高まるのだろうか?」
なんていうふうに考えたりします。

 町を写した写真は町並みが変わるにつれ価値が上がります。
人を写した写真は、その人が歳をとれば価値が上がってゆきます。

市場(しじょう)の価値ではなく、その写真に思い入れのある人間にとっての価値のことです。資産とは決定的に価値観が違うものです。

 古いネガカラーフィルムに、今の自分より若かった父親が写っている。
スキャナーで読み込んだ画像がモニターに浮かび上がる。
このころはけっこう太っていたんだな、こんな顔をしていたのか。記憶というのは曖昧なもの…。

 写真の情報量というのはすごいですね。
テキストデータと画像データはサイズからして違います。
かといって、2MBの写真を2MBの文章で表現できるか、といえば不可能なはず…。
写真にしかできない記録というのが確かにあります。

 わたしは写真の価値は「記録」「記憶」にあるのだと思うようになりました。
先日、友人の結婚パーティーのさい、二人の思い出の写真がプロジェクターで上映されました。
わたしの撮影した写真も何枚かありました。
写真、大事にしてくれてるんだな。と、とてもうれしくなりました。
写真を撮影したときは、二人が結婚するなんて思っても見ませんでした。
自分の撮った、なにげない写真が、二人の大切な記録になったことが、とてもうれしい。
写真の価値というのは、こういうものなのかな、と思い始めています。


「91年夏」 Canon A-1  New FD28-55mmF3.5-4.5 FUJICOLOR HG 100

きのうは私達夫婦の結婚記念日でした。いつのまにか、もう13年。
結婚した頃にもっと写真を撮っとけばよかったなあ、と思っています。
あの頃にデジカメがあれば、もっと気軽に写真が撮れたのになあ。

 


いまTVでジョン・レノンとオノ・ヨーコの富士写真フィルムのCFhttp://www.fujifilm.co.jp/tvcm/05aut-photois/index.htmlが流れていますね。

Photo is …人それぞれでしょうが、わたしは

Photo is Record Memory.

 あなたにとって写真とは何ですか?


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